植物のがん「こぶ病」と癌、カニバリズムについて。

山の中で佇んでいたときに、偶然目の前にこぶ病で枯れた木の枝がぶら下がっていました。

この日は写真を撮るつもりはなかったのですが、何となく写真を撮っておいたほうが良い気がしたので撮影してきました。

木の枝にでこぼこの結節ができていますが、これが「こぶ病」です。

この枝はスギですから「スギこぶ病」です。子嚢菌の一種が引き起こすスギの病害で、スギこぶ病に罹患すると、枝や葉、幹に大小のこぶが生じ、樹勢が衰え、枯死に至ることもあります(こちら)。

こぶ病は植物のがんと言われています。見た目もがんによく似ています。

ーーこちらから引用ーー

【要旨】

ウイルス、細菌、真菌、線虫、節足動物、または他の植物によって誘導される植物の異常増殖であるゴール(瘤)は動物のがんに似ている。様々な形態で発生するゴールは、正常な植物組織とは植物化学的に異なる。これは、動物の肉芽腫と同様に、病原菌と宿主の間の相互作用の場であるからである。
侵入者が産生するタンパク質による刺激に対抗するために、宿主植物は通常では産生しない多様な代謝産物を産生して対抗する。
ジャスモン酸経路(jasmonic acid pathway)の変化、およびオーキシン(auxin)やサイトカイニン(cytokinin)の過剰発現は、宿主植物の組織増殖を促進し、結果としてゴール(瘤)形成を促進する。
ゴールを形成する生化学的性状は宿主植物の種類や侵入者(病原菌)の種類によって決められるが、ほとんどのゴールはフェノール酸、アントシアニン、プルプロガリン、フラボノイド、タンニン、ステロイド、トリテルペン、アルカロイド、親油性成分(タンシノン)などの生物活性を有する植物化学物質が豊富である。
人類の長い歴史の中で、人間は他の植物の部分と同様に、治療薬としてゴールを使用することを経験的に知った。多様な文化の中で、民間療法におけるゴールの使用の証拠はたくさん存在する。中でも、Rhus(ヌルデ属)、Pistacia(カイノキ属)、Quercus(コナラ属)、Terminalia(モモタマナ属)などの植物属に由来するものは民族薬として一般的である。この総説では、ゴールの薬学的関連性について考察する。

ジャスモン酸は植物ホルモン様物質です。様々な働きをしますが、外敵による摂食などの傷害を受けた際に外敵に抵抗する遺伝子を発現させるシグナル物質として働く機能もあります。
オーキシン(auxin)とサイトカイニン (cytokinin) は、主に植物の細胞分裂を促進する作用を持つ植物ホルモンの一群です。
植物が細菌や真菌などの病原体に侵入されると、病原体や宿主植物が産生する物質によって、宿主植物の細胞が異常に増殖して瘤(ゴール)が形成されます。一方で、植物の防衛機転が働き、病原体を撃退する成分も生成されます。
このような宿主の植物と病原菌との熾烈な戦いと、ゴールが形成する過程で、多くの代謝産物が生成されます。正常な植物には含まれないような成分が植物の瘤(ゴール)には含まれます。したがって、植物の瘤(ゴール)は様々な民族医療で利用されているということです。

日本ではフジ瘤がその例になります。
日本の民間療法ではフジ瘤を胃がんや食道がんの治療に用いています。フジ瘤からメタノール抽出した成分のイソフラボノイドに発癌抑制作用があるという報告があります。培養がん細胞を用いた実験で、がん細胞の増殖抑制作用が報告されています。しかし、臨床例での研究報告はありません。

ーー引用ここまでーー

こぶ(ゴール)は「動物のがんに似ている」「動物の肉芽腫と同様に病原菌と宿主の間の相互作用の場」と記載されています。植物のがんである「こぶ病」が、動物のがんに似ているのに、動物の肉芽腫と同様のものであるなら、人間のがんもただの肉芽腫で、病原菌と宿主との間の相互作用の場と考えられるのではないでしょうか。

仮に、フジ瘤から抽出したイソフラボノイドに発癌抑制作用があるのであれば、ある種のがんの原因はフジ瘤の原因菌と同種のものかもしれません。フジ瘤は細菌感染が原因で、この菌は人や動物にも感染し、免疫力が低下していると日和見感染症を発症します。

ーーこちらから引用ーー

【フジ瘤は細菌の感染によって発生する】
フジ(Wisteria floribunda)は日本固有のマメ科フジ属のつる性落葉低木です。花は長くしだれて、20cmから80cmに達し、花はうすい紫色で、藤色の色名はこれに由来します。
このフジの木の幹や枝にPantoea agglomerans pv. millettiae(フジ瘤菌)という細菌が感染すると、この細菌が植物の細胞の増殖を刺激して瘤(ゴール)が作られます。
パントエア菌(Pantoea agglomerans)はグラム陰性の細菌で、植物のトゲなどに生息し、人や動物の傷から侵入して感染症を引き起こすこともあります。通常の免疫力があれば感染しませんが、免疫力が低下していると日和見感染症を発症します。
つまり、パントエア菌類は植物と動物に感染して病気を起こす細菌です。
フジ瘤は、フジ瘤菌の侵入によって樹皮細胞が異常に細胞分裂してふくれあがってしまう一種の植物のがんのようなものと言われており、割ると中に小さな幼虫がいます。
この瘤は細菌によって改変された植物組織で、ハムシや蛾の幼虫が住みついています。つまり、植物を食べる昆虫にとっては、非常に魅力的な食物資源であり住処となっています。

ーー引用ここまでーー

さらに樹木のこぶには「二次こぶ」という現象が見られますが、これは人間のがんの転移に似ています。樹木のこぶについて長いですが引用します。

ーーこちらから引用ーー

樹木のこぶについてご教授願います。
ニセアカシアやカエデ類など樹木の幹、特に地際から2〜3m位までの所に直径が30㎝になるようなこぶで出来ます。こぶは1個だけの場合もありますが、多くは大小様々なこぶが重なるように樹幹を覆っていて、直径が1m前後になる老齢樹でよく見かけます。また、ニセアカシアにつくこぶはサクラのこぶ病に似ていて表面がごつごつしていますが、ケヤキやカエデ類につくこぶの樹皮はごつごつしている部分もありますが、正常な樹皮とかわらない部分が多いです。これらのこぶは何が原因で、どのような作用でこのように大きなこぶになるのでしょうか?
 登録番号2514の「植物のガンについて」において、回答者は「植物のこぶ」をバラなどの根につく根頭がんしゅ病のこぶを想定して回答されているように思うのですが、ニセアカシアやケヤキなどの樹木のこぶもアグロバクテリウムのような細菌が原因であのような大きなこぶができるのでしょうか? それとも紫外線や老齢木になると樹木自体に生理的な植物ホルモンの異常が起こり、あのようなこぶが出来るのでしょうか? よろしくお願いします。 (中略)

町田先生のご回答
(1) について:
 お話を伺う限り、上記 のような「こぶ」は、アグロバクテリウム・ツメファシエンスの感染により出来る、「根頭がんしゅ病」と考えてもよいでしょう。この質問をされた方が、違う病気かもしれないと、疑問に思われた理由は、通常多くの「根頭がんしゅ病」が、根と茎の境界部分(地面に接している部分)にできるのに、なぜ、高い位置にできるのか、と思われたからでしょうか。実は、半世紀以上前から、「二次こぶ」という現象が報告されています。今回ここで問題にされている高い位置の「こぶ」は、このような「二次こぶ」ではないかと思います。アグロバクテリウムは土壌細菌ですので、最初は植物の地面の近い部分にこの細菌が感染して「一次こぶ」ができます。それからしばらくして(数ヶ月から数年に渡ることもある)、「傷」による明瞭な感染部位がなくても、地上部の高い位置に「こぶ」が形成されることがあり、これを「二次こぶ」と呼びます(英語では、Secondary gall と呼びますが、最近ではほとんど死語になっています)。「二次こぶ」は多くの場合、老齢な木に見られます。このような現象は興味深いのですが、今でも理由はわかりません。私は、「一次こぶ」の中で増えたアグロバクテリウムが、維管束や、細胞間隙を伝わって植物の体内を動き、傷ついた細胞に出会うと感染し、細胞増殖を誘発し。「こぶ」ができるのではないかと、考えています。

(2) について:
 「根頭がんしゅ病」の主な原因は、アグロバクテリウムが保有する複数の遺伝子が、植物の染色体の中に入り込み、それらが機能発現するようになった結果、細胞の増殖が誘発されることです。染色体に入り込んだ遺伝子の中には、植物細胞の増殖や分化状態に影響を与えるオーキシンやサイトカイニンという植物ホルモンの合成に影響を与える複数の遺伝子があります。これら個々の遺伝子の機能発現の程度やバランスは、感染する植物の種類によって異なっていると考えられています。植物により「こぶ」の形が異なるのは、これらの遺伝子の機能発現のバランスの違いによるかもしれません。実際に、サイトカイニン合成に関わる遺伝子の機能が上昇すると、「こぶ」の表面に異形葉・芽ができ、オーキシン合成に関わる遺伝子の機能が上昇すると、表面に異形な根をもつ「こぶ」ができます。両者のレベルが共に高いと、不定型な大きな「こぶ」ができます。しかし、このような説明で、「こぶ」の「ごつごつ」感や「樹皮のような柔らかさ」が説明できるかどうか、わかりません。もしかしたら、まだ知られていない遺伝子の働きにより、このような「こぶ」の形が支配されているのかもしれません。

ーー引用ここまでーー

引用記事の「根頭がんしゅ病」とは次の画像のようなものになります。

http://blog.livedoor.jp/rose.cottage/archives/50548057.html  より引用

アグロバクテリウムは、植物細胞に感染して DNA を送り込む(形質転換)性質があるため、植物のバイオテクノロジーで利用されます(こちら)。

http://gmo.luna-organic.org/?page_id=18  より引用

 

引用記事には、植物の体内を細菌が移動して、傷ついた細胞に感染し、細胞増殖を誘発し、こぶができると記載されています。人間の体内でも同じ事が起きていそうですね。

消化管(植物の根に相当)にできた腫瘍(一次こぶ)で増えた細菌が体内を移動して転移(二次こぶ)を作る。

「植物のがん=こぶ病」と腫瘍(がん)は本当によく似ています。というか、同じもののような気がします。

がん患者に抗がん剤を投与したら、抗がん剤は「猛毒」で発癌物質ですから沢山の細胞に傷がつき、感染が生じて沢山の「こぶ」ができるのではないかと推察されます。

天皇家一族、悪魔崇拝者の連中は「がん」という嘘の病気を作り、人々を抗がん剤で苦しめ、かつぼろ儲けしています。ほとんどのがん患者はがんが原因ではなく、化学療法が原因でなくなります。

ハマー医師は1997年、医師免許なしで3人の患者に(化学療法は施していないが)医学の助言をしていたことで逮捕された。その後、患者のファイルを没収し、検察官の1人が分析したところ「末期がん」を有する6,500人の患者のうち6,000人が5年後まだ生存していたことが分かった。
従来の化学療法では、一般的にこの数字は逆転する。(6,500人のうち6,000人が亡くなる)

http://shinhakken-blog.seesaa.net/article/444764573.html#more

癌は嘘だということが、RAPT 氏により暴かれましたので、ご存じのない方は是非ご覧ください。

癌という病気は存在しない。(前編)

癌という病気は存在しない。(後編)

なぜ神様は千年王国が来ることを自信をもって断言できるのか。または癌治療に関する最終結論。

話を戻します。

植物のこぶは栄養豊富で、植物を食べる昆虫が住み着いていることがあります。

--こちらから引用ーー

ゴールはゴール形成者によって改変された良好な植物組織なので、ジャヤナギハマキハバチのゴールをハムシや蛾の幼虫が利用するように、他の植食者にとっても魅力的な食物資源である。

ーー引用ここまでーー

植物のこぶが栄養豊富であるなら、似たものである人の腫瘍も栄養豊富である可能性が高いです。そして、麻生太郎ら天皇家一族は「人肉」を食べる人達であることが RAPT 氏により暴かれています。

ーーこちらから引用ーー

「がん治療」や「がん予防」のために切除した肉片などのことを「医療廃棄物」と呼びます。

そして、実を言うと、「株式会社・麻生」もこの「医療廃棄物」の処理を業務として行っています。

---------------------(以下、こちらから転載)

株式会社麻生(あそう)は福岡県飯塚市に本社を置く企業。麻生セメントなどが属する麻生グループ全体の統括を行なう存在として位置づけられている。

麻生太吉が明治時代に飯塚市で始めた「麻生炭鉱」を源流とし、現在ではセメント事業、専門学校運営、病院経営、医療廃棄物処理など幅広い分野の事業を手掛けている。

---------------------(転載ここまで)

「癌」という病気が嘘である以上、「がん治療」や「がん予防」のために切除した肉片は、何ら病気になっていない健康な肉であることは間違いありません。

なのに、彼らはその肉片を数多くの病院から(お金をもらって)回収しているわけです。

では、彼らはその健康な肉片をその後どうしているのでしょうか……?

単に処分しているだけとは考えられません。

なぜなら、彼らは「人肉」を食べる(カニバリズム)人たちですからね。

間違いなくこの肉片を食べているはずです。

例えば、チベット仏教でも「人肉」を食べることが教理の中で定められています。

---------------------(以下、こちらから転載)

内容を特徴付ける主な言葉・概念を挙げると、以下のようなものがある。
「五欲徳」(色・声・香・味・触)
「五肉」(人肉・牛肉・犬肉・象肉・馬肉)
「五甘露」(糞・尿・精液・経血・肉体)
「大印」(女性パートナー)

こういった従来の顕教、あるいは世俗の社会倫理では忌避されてきたものを、真理の反映の過程として取り上げ、三昧の上においてはむしろ徹底的に享受・摂取することが、(その優越性・究極性を強調されつつ、)全面的に象徴化がなされ、それを肯定し推奨されて、現実の如く具体的に観想することが必要とされる。

ちなみに、「大印」(女性パートナー)は、言うまでもなく、「愛欲」(性理的瑜伽、二根交会)の象徴として文中に現れるが、その尊様の指定は、
十二歳の乙女(第七分、第十五分)
十六歳の乙女(第四分、第七分、第十六分)
二十五歳の乙女(第八分)
といった具合にバラつきがある。

---------------------(転載ここまで)

チベット仏教とは、日本の「西本願寺」に由来のある宗教です。

そして、この「西本願寺」には「麻生太郎」の曽祖父である「麻生太吉」も出家していましたよね。

ーー引用ここまでーー

麻生太郎ら天皇家一族は、悪魔崇拝の一環として間違いなく人肉を食べているでしょう。

人肉を安定的に供給するために、がんという嘘の病気を創り出したのかもしれません。

二代目天皇「綏靖天皇」は毎日「人肉」を食べていたようですから、彼ら悪魔崇拝者にとっては「人肉安定供給」は死活問題なのかもしれません。

綏靖天皇と申す帝は、朝に夕に人を7人食らいなさったので臣下の嘆きはこれにつきた。「誰と誰が生き残れるだろう」

二代目天皇「綏靖天皇」は朝に夕に人間を7人食べていた。古事記と日本書紀から削除された怪しげな天皇家の記録。

以上、こぶ病から「がん」、カニバリズムと考察してみました。

〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。

〈閲覧注意〉日本の密教もまた悪魔崇拝そのものです。

天皇家と安倍首相と永田町の政治家が「密教」を信じる悪魔崇拝者であるという確たる証拠。

天皇が行う「大嘗祭」はまさに悪魔崇拝そのものです。

過剰な健康・環境ブームも悪魔崇拝から始まった詐欺目的のデタラメ話。

麻生太郎と悪魔崇拝。麻生太郎がこの世界の中心になろうとしている現実。

リチャード・コシミズの正体。(麻生太郎とアヘン貿易の仲間たち)

RAPT BLOG に出会って感受性が豊かになる。40歳を超えてからでも人生が変わり、豊かに生きられる方法を見つけました。

今回は、普段よく行く山の写真をいくつか載せながら、考えたことを記載します。自己満足な気がしますが、目の保養になれば幸いです。

山道を歩いたりドライブしながら景色を眺めていると、普段は気に留めないのにその日は妙に惹きつけられたり、以前はそれほど感動しなかったのに「綺麗だ」と感動するようなことが多くなりました。また、特別なものではないけれども、それを見ることで RAPT 氏の御言葉を思い出すことがあります。

自分の人生を振り返っても、こんなに感動したことはおそらくなかったと思います。不思議と世界がキラキラと輝いて見えます。

 

 

RAPT 氏が、罪を悔い改めて心の中がきれいになり、子供のように純粋な心を持つようになると、感受性が豊かになって、ありとあらゆるものに感動したり、感激したりできるようになると仰っていたのはこのような状態のことかなと思いながら記事を書いています。

心の清い振りをしながら一生を生きるより、最初から心を清めて一生を生きる方がずっと楽だ。そして主は、真に心を清めた人だけを義と認められる。

 

カメラを持っていると、山に祈りに行ったのに撮影に夢中になり、祈る時間が減ってしまうので、撮影を我慢するか、または「どのような写真が神様に喜ばれるか」「御心の為に使える写真が撮れないか」等々、祈りながら考えながら撮影するようにしました。このようにするほうが漠然と祈るよりもいいかもしれません。

神様を抜きにして自分の趣味に興じてしまうと、その行いから恵みを受けられなくなりますし、神様を愛することを最優先にするというところからずれてしまいます。

で、ずれるときっと世界がこんなにキラキラして見えなくなると思うんですよね。そうなると写真を撮りたいという気持ちがなくなるかもしれません。

私達はみんな「神様はいない」とか「神様を信じる人は心が弱い人」とか教え込まれて生きてきましたが、そんなことはありません。これらは悪魔崇拝者である天皇家一族、李家の連中が、私達が神様を信じないようにするために広めた嘘です。

「安倍晋三」は「密教」という悪魔教を信じていますし、天皇家も政治家も霊の存在を信じています。そして、悪魔崇拝者が世の中を支配しているから、庶民は搾取され、苦しい思いをするわけです。

天皇家と安倍首相と永田町の政治家が「密教」を信じる悪魔崇拝者であるという確たる証拠。

〈閲覧注意〉日本の密教もまた悪魔崇拝そのものです。

RAPT 氏に教えて頂いたことですが、神様は私達に必要なもの与えてくださり、私達が楽しく人生を生きられるように、幸せになれるようにと導いてくださる方です。

とはいっても、聖書に「求めなさい。そうすれば、与えられる。」と書いてあるとおり、神様を信じて祈り求めないことには与えられないですし、求めてもそれがその人にとって害になるようなものは与えられません。神様はその人に必要なものを与えてくださる方です。

神様は人間と愛をなすために私達を創造してくださったので、私達が神様を愛さなければ何も与えられませんが、逆をいうと、神様を愛して神様に喜ばれる人間になれば(なろうと努力すれば)、神様は愛してくださいますし、必要なものを豊かに与えてくださるということです。神様は喜んで与えてくださいます。

あなたの主を褒め讃えなさい。それこそがあなたの幸福の原点だ。

主と愛の関係を築くなら、主が持っている全てのものを共有してくださるから、人生を生きる上で不足するものがなく、必要な全てのものに満たされて生きられる。

 

RAPT 氏は何十年と神様を愛してこられたので、神様から豊かに祝福を受けておられ、神様から直接啓示を受けて、御言葉を伝えてくださっています。人生を通じて悟られたことを豊かに伝えてくださっています。

そして、RAPT 氏を通じて神様を信じるようになった人が沢山おり、私もその一人です。

神様は様々な出来事を通じて、私がいずれ離婚することになるだろうということを教えてくださっており、実際にその通りになりました。それが神様の御心なのだろうと思って素直に従ったら、想像以上に恵み深い生活ができるようになりました。自営業だから仕事は自由に調整でき、時間ができ、近くには山があるから平日の昼間でも山に行くことができ、酸素は吸えるし、写真は撮れるし、祈れます。

人間の頭で考えると不幸に思えることでも、神様に従って進んでいくと実は祝福だったということがあります。人は自分の欲しいものを1つ2つ手に入れるためにあくせく働くが、神様はその人に必要な100のものを与えようとしてくださっていると、RAPT 氏に教えて頂きました。

神様が与えようとしてくださっているものを全て頂くには、自分の願いがなかなか叶わないときもありますし、試練や苦難もあります。しかし、神様は全てを愛で行ってくださっているので、神様の愛を信じて最後の最後まで努力して行えば、いずれ必要なものは全て与えられ、願いも全て叶えて頂けるということです。

そんなことがあるわけないと思う人がいるかもしれませんが、RAPT 氏が実際にそのような祝福を受けておられます。ですから、私も RAPT 氏のようになれるように日々もがいているわけです。元々たいした実力がなかったので、実力が身につくには時間がかかりますが、実力を身につけていく過程は世の中の仕事をするよりも楽しいですし、神様の次元に達する前にもできることはあります。とはいっても、いつまでも次元の低いことばかりやっていては駄目なのですが・・・

神様に出会う前は努力が報われるかどうか保証がありませんでしたが、神様に出会った後、神様のための努力は必ず報いがあります。今、実力がないからといって自己卑下する必要はなく、「実力がないから実力をください。」と祈ることができるのですから、どれだけ心が楽でしょうか。そして、神様のために実力を求め、自分自身も努力したら、その分、必ず神様は実力をくださるはず。

気持ちだけの愛を、主は愛とは認めない。行いと成果の伴った愛だけを、主は本物の愛だと認めて下さる。

100%の努力をし、100%の祈りを捧げなさい。そうしてこそ、主の御心がこの地に速やかに成されるだろう。

 

しかし、神様の道を真っ直ぐ進んでいくのは容易ではなく、様々な誘惑があります。自分の弱さや悪魔からくるのだと思うのですが、「楽して得したい。」とか「自分はちゃんとできている。」といった考えがじわじわと脳を蝕んでいきます。こういう神様の考えと真逆の考え(悪魔の考え)を持ってしまうと、活動的に動けなくなります。一日をだらだらと過ごしてしまい、やるべきこと、やりたいことができなくなります。

蔓植物が木に絡みついているのをよく見るのですが、悪魔はこうやってじわじわと絡みついて、神様を信じる人の信仰を破壊しようと、罪な考えを入れてくるのだと思います。RAPT 氏は罪をなくすことの重要性について繰り返し教えてくださっていますが、罪があるとやるべきことができかなったり、必要のないことをやってしまいます。

そして、罪にまみれたままだと信仰が破壊されて、霊的に死んでしまいまう可能性があります。この写真はオーストラリアのカーテンフィグツリー(絞め殺しイチジク)ですが、寄生された木は倒れてしまいます。罪を放置しておくと、悪魔に負けてしまいます。

オーストラリアのカーテンフィグツリー

自分は神も悪魔も信じないから関係ないとは思わないでくださいね。神様を信じていないということは自動的に悪魔の支配下にいるということになるのですから、やるべきことができなかったり、どれだけ努力しても報いがなかったりします。仮に報いがあってもわずかです。

誰でも努力した分、報いが欲しいですよね?

ちょっとでも興味を持たれた方は、RAPT 氏の御言葉を読んでみてください。音声での配信もありますから、一度聞いてみてください。沢山記事があるので、最初からでも気になるタイトルのものでも良いですから。

どうすれば悩みが解決するのか、どう生きれば幸せになれるのか、どうすれば成功できるのか、そして、どうすれば神様の愛を受けられるのか、RAPT 氏が苦難を乗り越えていく中で悟られたことを伝えてくださっています。

RAPT BLOG

RAPT有料記事419(2019年11月9日)主の恋人になった人だけが救われる。そして主の恋人になった人とは、多くの人々を救う使徒のことだ。

RAPT 氏有料記事 INDEX(401~)

 

愛媛県愛南町で空撮と風景撮影。

先日、愛媛県愛南町の高茂岬(こうもみさき)に行ってきました。

以前、墜落したドローン回収の際にお世話になった警察官に帰りがけに挨拶に行ったときに、愛南町の海岸が綺麗でなことを教えて頂いていたので、機会をみて行ってみようと考えていました。

高茂岬は愛媛県の最南端に位置し、100メートルを超える断崖が続いています。秋には鷹も見られるそうで、実際、遠くに鷹が飛んでいました。

高茂岬の他にもいろいろと見所はあるのですが、今回は高茂岬だけにしました。

目的は空撮と夕日の撮影です。日中も空撮して、写真も撮ったのですが、この日は24時間神様を意識することを優先したので、撮影はほどほどにして過ごしました。

夕日の撮影のためにドローンを飛ばしたのですが、この日は風が強く危険だったので短時間で終了しました。ドローンを回収している間にどんどん日は沈んでいくので、大急ぎで回収してから何とか夕日を撮影しました。

高茂岬から見た夕日

本当はもっと夕日を撮影したかったのですが、夕日を見る前に仮眠を取って、二度寝してしまい、目が覚めたら日没直前でした。もっと前から準備をしていたら、じっくりと夕日を観賞し、落ち着いて撮影できたはずですが、二度寝してしまったために、ほんの少ししか夕日の撮影ができませんでした。

「眠りを愛するな、貧しくならぬために。」(箴言 20. 13)

眠ってばかりいると貴重な時間を失ってしまいます。

日が沈んでからも、もっと夕日が見たい、燃えるような夕焼けが見たいと思いましたが、すでに日は沈んでしまったので仕方がありません。他にも何か撮影すべきものはないかと探して、しばらく周囲を見回していました。

夕焼け、風に舞う波しぶき。何を見ても新鮮なのですが、さらに何か見たいという気持ちが強くなっていきました。

「もっと何か見たい。神様、何かないですか?」と心の中で思いました。

どんどん暗くなっていきましたが、夕焼けや海を眺め、撮影しながらしばらく粘っていました。

その時、ふと後ろを向くと山の端から月が昇ってきていました。

思わず「これだ!」と心の中で叫びました。

 

以前、KAWATA さんが受けられた啓示で、神様はサプライズの神様だと仰っていたことを思い出しました。本当にその通りで「月」のことは頭から抜け落ちていました。

祈りの貯蓄を天に貯めた分だけ、神の力を使って神の働きをこの地で大きく成すことができる。

日の出、日の入りの時刻と方角は check していても、月の出、月の入り、月齢は check していませんでした。

夕日でオレンジに染まっていく岬から澄んだ月が昇っていきました。これもほんの数分のことですぐに周囲は暗くなっていきます。素晴らしい景色を見せて頂いたことに感謝しながら撮影しました。

 

以前、「風景写真は神様が愛で与えてくださった景色を写すものだ」と自分で記載しておきながら、「燃えるような夕日を見たい。」というわがままな心を抱えており、夕日に拘っていました。実際には神様は夕日も見せてくださったのですが、二度寝したために落ち着いて見ることができなかっただけです。

「風景写神」。写真は神様を写すもの。神様が愛で与えてくださった景色を写すものだと思います。神様によって創造された自然や物が、神様が与えてくださった光の中で輝くときを狙って撮影する。光と影が織りなす神様の芸術を撮影させて頂く。

風景写真は神様と共に作り上げる作品で、これを行うことで神様とより愛を深めていくことのできるものだと思います。

風景写真は風景写神。神の次元に到達するには。

 

風景写真は「風景写神」。神様が与えてくださった景色を撮影するのですから、自分が「あれが見たい、これが見たい。あれを撮影したい、これを撮影したい。」と思うのではなく、もっと神様と一つになって、「どこで何を撮影したら神様は喜んでくださるだろうか。」と考えた方が良いかもしれません。あるいは「夕日を撮影したいのですが、いつどこで撮影したら神様は喜んでくださるでしょうか。」と相談すればより良いかもしれません。

愛南町の夕焼けの絶景ポイントとして「三ツ畑田島」があり、当初の目的ではこの三ツ畑田島が見えるところで夕日を撮影するつもりだったのですが、高茂岬に着いたときに、何となく高茂岬で綺麗な夕日を見ることができそうだという感覚があったのと、高茂岬に誰もいなかったのでゆっくりと神様と向かい合うことができるという判断から高茂岬で夕日を見ることにしました。

そして、日が沈んでから「もっと何か見たい。」という気持ちがありましたが、その他に「何かあるはず。」という期待もありました。

四万十川へ紅葉狩りに行ったときには、「今日はこれで終わり。」という感覚があったのですが、不思議と高茂岬では「終わり。」の感じがせず、撮影を終了するという考えが浮かびませんでした。神様に「もっと何かないですか?」と祈っていたから、帰るのを引き止めてくださったのかもしれません。その結果、月の出を見ることができました。

また、もし三ツ畑田島で撮影していたら、背後は山ですから月の出は見ることができなかったと思います。

ただの偶然と思われる人もいるかもしれませんが、今回の「月の出」を見ることができたのは、何となく高茂岬に留まり、何となく「まだ何かある。」と感じてその場に留まり、何となく後ろを振り向いたから、ちょうど月が顔を出したところを見ることができたのです。

RAPT 氏が御言葉で仰るとおり、神様に喜ばれる人間になろうと努力していれば、思いがけない祝福がありますし、何か特別なことがなくても神様を第一に愛して、神様に愛されていると感じて生きられれば、本当に幸福だと思います。

主と愛の関係を築くなら、主が持っている全てのものを共有してくださるから、人生を生きる上で不足するものがなく、必要な全てのものに満たされて生きられる。

今回は、月の出というサプライズを頂いたので、もっと神様に喜ばれる人間になろうと思い、自分の弱点、欠点を改善して、さらに実力を身につけて良い作品を作ろうと決心しました。

RAPT 氏の御言葉は、人生の悩み苦しみから抜け出し、幸せに生きられる方法を教えてくださっている、この世で唯一のものです。他にどこを探してもこれほど凄いものはありません。

RAPT 氏は神様をずっと愛してこられて、神様と実際に愛をなして、神様から使命を受けられ、神様から啓示を受けて御言葉を伝えてくださっています。神様と一体になられた方で、神様から遣わされた方です。

私達を徳のある人間へと導き育ててくれる御言葉を豊かに伝えてくださっています。

さらにどうすれば神様と愛を成せるのかということを、人生を通じて悟られたことを詳しく伝えてくださっています。

是非、皆さんお読みください。

RAPT BLOG

神様は私たちの霊魂の救いのために私たちの願いを叶えて下さるが、サタンは私たちの霊的な堕落のために私たちの願いを叶える。

 

 

ビオラの肩当ての脚部を交換してジャストフィット。RAPT 氏の御言葉を読んで、報われない人生から報われる人生へ。

先日、弦交換のために弦楽器工房にお邪魔してきました。

弦交換は自分でもできるのですが、弦を固定する糸巻きの傾きをチューニングがしやすいように巻いて頂けるので、お願いすることにしました。

そこで偶然、大きなビオラの話になりました。たまたま他の人のビオラがおいてあり、そのボディサイズが確か 43cm だと仰っていたと思いますが、とにかく大きい。私のビオラは 40.5cm ですから、2.5cm も大きい。縦に長いだけでなく厚みもあり、肩当てがなくても顎と鎖骨で支えられそうなくらいの大きさでした。

そこで、肩当ての話になりました。私の場合、肩当てをしても胸板と肩当ての間に隙間ができてしまうので、これまでは肩当ての下にタオルを巻いてクッション代わりにして高さを調節していました。これはビオラを教えて頂いた先生にそのようにするようにと言われて、ずっとその通りにしてきたのですが、ポジション移動の時に若干楽器が不安定になっていました。

で、肩当てを変えるべきか、他に何かいい方法はないかなと思いながらも、そのままにしていたのですが、その話をしたところ、良い物を頂きました。

私の肩当てに合う脚部のロングタイプ。写真の左が元々ついていたもので、肩当てについているのが新たな脚部です。

実際にこれを付けて弾いてみたのですが、非常に具合がよくて、楽器が体にジャストフィットするようになりました。

調べると「楽天」でも売っていましたが、実際に試してみないと体に合うかどうか分からないので、ネットでは買わなかったと思います。

肩当ての脚という興味のない人から見たらつまらない物ですが、私の場合は大きな問題で、ものすごくビオラが弾きやすくなりました。

RAPT 氏の仰る「神様に喜ばれる人間になろうと努力していれば、必要な物はすべて与えられる」ということはこういうことかなと思います。

あれが欲しい、これが欲しいと祈らなくても、神様は必要な物を与えてくださいます。今回の肩当ての脚はかゆいところに最も手が届いた瞬間です。神様は私達に何が必要なのかご存じで、また心の中を全てご存じだから、本当に必要な物を与えてくださいます。

貪欲は駄目ですし、現世利益を得て喜んでいるようではまだまだなのですが、神様が必要な物をさりげなく与えてくださったので証します。

RAPT 氏の御言葉に従って神様に喜んで頂けるように生きることが、人間にとって最も幸せな生き方だと思います。自分の頭では将来のことは分かりませんが、神様が一歩一歩を導いてくださるので、いずれは RAPT 氏のように神業をなして生きられるようになれるかもしれないという希望がありますし、ならないといけない。

ビオラが弾きやすくなったから満足して趣味生活に溺れるのではなくて、これで神様の御心をなさないといけないから、より一層実力を身につけていかないといけない。

努力することは大変だと思われるかもしれませんが、楽しんでやっていることですから、この努力は苦しいものではなくて楽しいものになります。

神様を喜ばせて差し上げるためではない努力は、富や名誉、異性などの現世利益を得るための努力ですから、何かを得ることはできてもその喜びは長くは続きませんし、努力している間も苦しいです。

しかし、神様を喜ばせて差し上げる努力をすると、現世利益を得る喜びもありますが、それよりも愛されているという喜びがあり、努力している間もその喜びなり恵みがありますから、努力が苦痛になりません。

RAPT 氏の御言葉はどうしたら神様に喜んで頂けるかということを事細かに知ることができるので、ぜひ皆さんに読んで頂きたいです。

神様に喜ばれるためにした努力は必ず報いがあります。

一方、神様とは関係のない努力は、何の報いもないか、あっても満足できるものではないと思います。

報われない人生から報われる人生へ。

その道筋を RAPT 氏が伝えてくださっています。RAPT 氏がその人生の中で悟られたことを豊かに伝えてくださっています。

記事は沢山ありますので、最新の記事を読みながら過去の記事を読むか、興味のあるタイトルのものを読んでみてください。音声でも伝えられていますので、ぜひ聞いてみてください。

 

RAPT BLOG

RAPT有料記事414(2019年10月21日)人は悟りを積み重ねることで神のようになっていくし、神のようになれば自らの行いで自分に恵みを与えることができるので、何か特別なことが起きなくても毎日が幸せだ。

RAPT有料記事415(2019年10月26日)人は悟りを得たときに主の愛を最も強く感じることができる。だから、悟りを得た人は主の愛の偉大さを理解し、主の愛を第一に求めて生きる。

RAPT有料記事416(2019年10月28日)真の義人とは人の評価など気にせず、最後まで主の御心を成す人のことを言うのだ。

RAPT有料記事417(2019年11月2日)悪人たちは主の愛を受けていないから、どこまでも孤独で冷めているが、真の義人は常に主の愛を受けているから、常に喜びと感動に溢れて生きられる。

RAPT有料記事418(2019年11月4日)自分の限界を突破するまで努力した人だけが、霊肉ともに豊かに実を結び、終末の裁きに最後まで耐え抜いて救われる。

RAPT有料記事419(2019年11月9日)主の恋人になった人だけが救われる。そして主の恋人になった人とは、多くの人々を救う使徒のことだ。

石のように硬く冷え切った心からでも愛が芽生えることがある。RAPT BLOG で迷いなく生きる方法を見つけました。

山に入ると石から新たな命が生まれているのをよく見ます。

沢山の新芽のうち、わずかなものが大きく育っていくのだろうと考えながら撮影。

硬い石、冷たい石。さらに苔むしている。

同じようにガチガチに固まり、ひんやりと冷え切っていた心と脳。

自分に余裕のある時は誰かに親切にできても、余裕のないときは自己中心で冷淡。自分のことで精一杯。

頑固で自分が正しいと思い込み、間違いを指摘されても素直に受け入れない。受け入れたふりをしても、頭では絶対に受け入れない。

自虐気味に自分を振り返ってみると、このような性格があったかもしれません。100%そうだったとは思いませんが、そのような部分があったと思います。

今もあるかもしれません。

しかし、石から芽が出るように、石のような心からも愛が芽生えることがあります。

これは神様が与えてくださったもの。神様が沢山の愛を降り注いでくださったから、ようやく芽生えたもの。

枯らしてはいけない。

祈り、賛美し、感謝を捧げ、聖書と RAPT 氏の御言葉から神様の心情・考えを学び、神様を愛して神様に喜んで頂ける生き方をして、神様から愛を豊かに頂いて、愛を育んでいきます。

 

始めは小さな芽でも愛を手放さない限り、愛が枯れることはありません。

木が徐々に育つように、愛も徐々に育っていきます。

木の根が石を割って大きく育っていくように、愛は硬く冷め切った心を割って大きく育っていきます。

 

まだまだ大木と言えるまでは育っていないから、雨風ならぬ艱難苦難に襲われると乗り越えるのに苦労します。気づかないうちに悪魔の考えが入ってきたり、怠惰な考えが出てきたり、承認欲求がでてきたり、やる必要のないことをしてしまったりします。

しかし、RAPT 氏から自分の弱さや悪魔の攻撃に打ち勝つ方法を学んでいるので、苦難を乗り越えていくことができます。

霊界の状況や悪魔の攻撃パターンを教えてくださっているので、乗り越えることができます。

自分が間違ったことをしていないか、今しようとしていることは神様に喜ばれることなのか、神様に相談しながら物事を判断していきます。完全にできているわけではないですが、そのような習慣を身につけられるように努力していくことで、いずれはすべての行いが神様に喜ばれるものになり、徳のある人間になれるはず。

本物の宗教は人の徳を高めますが、カルトは人の徳を貶めます。しかし、なぜかこの世にはカルトに入って活躍し、光り輝く人がいます。

 

神様を喜ばせる生き方をしたら、必要なものはすべて与えられると RAPT 氏に教えて頂きました。

神様は惜しみなく与えてくださる神様です。不必要なものは頂けませんが、必要なものは何でも与えてくださいます。

私達の霊肉の成長のために、また神様をもっと愛することができるように、御心を成せるように、周囲の環境さえも整えてくださいます。

私の場合は一人暮らしができるようにと導きを受けました。自力ではできないことを神様がしてくださいました。人間の考えでは家族から離れて暮らすのはつらいことですが、神様は私の霊の命を守るために最も必要なものを与えてくださいました。

神様は私達の一歩一歩を導いてくださいます。そうして頂けるようになるにはもっと神様に喜んで頂けるようにと成長しないといけないのかもしれませんが、まだまだ成長過程でも神様に喜んで頂けるように常に努力していれば、導きを受けられると感じています。

苦難があってもそれによって自分自身が成長するのであれば、神様からきた必要な練達です。

神様は人を甘やかして「そのままでいい」という方ではなく、常に私達に成長を求められ、また成長できるようにと導いてくださる方です。

愛を豊かに注いでくださり、力を与えてくださり、成長できるようにと導いてくださいます。冷め切った心にも愛が芽生えるように、神様は惜しみなく愛を注いでくださっています。

皆さんも神様の愛を求めてください。富や名誉、異性を求めるよりも先に、神様に喜ばれる生き方ができるように求めてください。そうしたら必要なものは後からついてきます。RAPT 氏がそのモデルです。

神様の愛を受け、導きを受けて生きられたら、自分の存在価値を100% 発揮できるようになります。心に天国を作って生きられるようになります。そうなることを私は目指します。

皆さんも興味が湧いたら RAPT 氏の御言葉を読んでください。人生を良い方向に導いてくれるものがここにあります。あなたにしかできない使命を見つけてください。

 

RAPT有料記事234(2017年12月18日)自分の存在価値を発揮したければ、全人生を懸けて主につながる努力をしなさい。

RAPT有料記事351(2019年2月11日)悪人たちは何かを与えられても、それを失うまいとしてあくせく生きなければならないが、我々義人は何かを与えられても、さらに豊かに与えられるという生を生きられる。

RAPT有料記事372(2019年5月6日)明け方の祈りを毎日きちんと守る人は、主の守護を受け、主から必要な全てのものが与えられる。

四万十川へ紅葉狩りに行き、悟ったこと。

昨日、高知県の四万十川とその支流「黒尊川」に行ってきました。

以前から四万十川でドローンを飛ばして見たかったことと、沈下橋と夕日の写真を撮ってみたかったこと、ついでに紅葉も見れたらいい写真が撮れるだろうと深く考えずに出発しました。

どれくらい紅葉しているか分からなかったのですが、「風景撮影の基本姿勢は”3遍通い”。3度目でやっと大地に神様がハグしてくれる。」と本に書いてあったので、軽い気持ちで出発したのですがこれは失敗でした。

出発前に、「もっと紅葉情報を調べるべきではないか?」という考えが頭に浮かんだのですが、“3遍通い”という言葉が頭にインプットされていたのでその考えを無視してしまったのです。今から考えると神様からきた霊感だったのかもしれません。

たとえプロの意見であっても人間の考えですから、神様の考えとは異なるのです。神様であれば、あるいは神様の考えを身につけ神様と同じ行動をするようになった人であれば、3度も通うことはないのではないでしょうか。

その場所に行くべきかどうか、行くならいつ行くべきか、祈って正しく霊感を受けられるでしょうし、行けば神様から祝福されて目的となるもの、今回の場合であれば紅葉や夕日を確実に見ることができるはずです。

今回は霊感を無視して「自分がそうしたい」「3遍通い」という人間的な考えで行動したために、期待した通りのものは見られませんでした。まだまだ人間の考えの枠から抜け出すには時間がかかりそうです。

聖書に出てくる使徒「パウロ」は神様に導かれて伝道に行くべき場所に行っていました。神様と深く疎通できると行くべき場所も分かるわけです。

神様は神様ですから、どこの紅葉がきれいで写真を撮るならどこに行くべきかご存じなはずです。紅葉の写真をとるのであれば、「どこに行けば神様が喜ばれるのか。どこに行けば神様が喜ばれる写真を撮ることができるのか」と祈り求めるべきでした。

 

四万十川流域に着くと、ほとんど全くといっていいほど紅葉が見られなかったので、これは全く無意味なことをしているかもしれないと思いながらも、山の奥に行けばちょっとは紅葉が見られるかもしれないと淡い期待をいだいて黒尊渓谷に向かいました。

向かう途中も全然紅葉が見られず途中で引き返して四万十川の撮影をしようかとも思ったのですが、せっかくここまで来たのだからもう少し上流まで行ってみようかと迷いました。

そこで神様に相談して、もう少し上流までいくべきだという霊感を頂いて、結果としては少し紅葉を見ることができて満足できたのですが、こういう「困ったときの神頼み」という姿勢では駄目で、行動前からもっと神様と相談して、自分の我を押し通すことをやめないといけないと悟らせて頂きました。

今回、四万十川に向かう途中、神様が怒っている感じはしなかったのですが、もしかしたら、「3遍通い」が人間的な考えで神様の考えではないということを悟らせるために、四万十川行きを許諾してくださったのかもしれません。

四万十川へ行くことも紅葉を撮影することも別に悪いことではないのですが、もっといい時期、いい方法があるということを神様はご存じで、もっと神様に祈り求めることができるように導くために、また私の間違いに気づかせるために今回の行動を許諾してくださったのかもしれません。

黒尊渓谷(2019/11/2)

四万十川の沈下橋の撮影については、残念ながらいい夕日が見られませんでした。「悟るべきことを悟ったら早く帰宅しなさい」というメッセージだったのかもしれません。あまり粘らずに帰宅の途につきました。

ちょうど RAPT 氏から神様のために真心を込めて行うことと神様に喜ばれる人になることの大切さを教えて頂いたので、「神様のためにやっているつもりで、実は自分がしたいことをしている」ということを改め、本当に全ての行いが神様の喜びになるような次元を目指さないと到達できないと実感しました。

「どうすれば神様に喜ばれるか」という基準で全てを行えるようになると、「四万十川に行けば神様は喜ばれるだろうか」と神様と祈ることができたでしょうし、もしかしたら「いつ行くべきか」も相談することができていたかもしれません。

神様と深く疎通できれば無駄な行動がなくなり、本当に神様に喜ばれることだけを行えるようになって、その結果、自分自身も恵みを受けられるようになると思います。もっと神様と愛をなせるように毎日次元を上げていかないといけない。

何を求めるよりも先ず第一に、主に喜ばれる人間になれるように祈り求めなさい。常にその願いを、他のどんな願いよりも強く心に抱いて生きる者となりなさい。

RAPT BLOG

山で酸素を吸って脳をすっきりさせてきました。RAPT BLOG で脳を活性化する方法が分かります。

先日のドローン捜索・回収の際に登山靴とストックを購入しました。これを無駄にはしたくないので、これからもっと山歩きをしようとモンベルで登山服も購入し、早速ハイキングに行ってきました。

ちなみに、モンベル(mont-bell)は日本のアウトドアブランドですが、「mont=山」で「bell=バアル(悪魔)」ですから、山岳信仰、悪魔崇拝と繋がっているのかもしれませんね。

香川県は「うどん県」ならぬ「ピラミッド大国」でした。あなたの住む町にもピラミッドは存在するかも知れません。

  

 

スギの多い山でしたが、紅葉も見ることができました。途中で立派なブナの木もありました。紅葉も山の緑も綺麗です。また空気がおいしくて、酸素をたっぷり吸って頭がすっきりしました。何となく考えがまとまらないような、脳が停滞しているような感じがしていたのですが、歩いているうちにだんだん脳の働きが回復してきました。歩きながら祈ったり、スマホで御言葉を聞いたりと「霊的」に投資しているのでその効果もあります。

RAPT 氏の御言葉で酸素の重要性を教えて頂いていましたし、肉的に疲れたら霊的に行って脳の回転を速くすると教えて頂いていましたが、それを体感した日になりました。

RAPT 氏の御言葉では霊的なことだけでなく、健康に関すること、人生の問題をどう乗り切るかなど様々なことが伝えられています。

健康に関しては、ネットには様々な情報があふれていますが、本当に重要なことは酸素を吸うことと水分をしっかり摂ることだと教えて頂きました。もちろん他にもいろいろ教えて頂いています。これにより無駄なサプリや健康食品を買うことがなくなり、ワクチンという毒を接種することもなくなりましたから、お金の節約になりますし、ますます健康になります。

RAPT 氏のブログを読んで理解したら、この世に溢れている情報のどこに嘘があるのかわかるようになってきます。さらに次々と真実が明らかになっていき、分かったことが増えていくので、そのたびに頭がすっきりしていきます。

嘘の情報、嘘の価値観、嘘の知識。イルミナティの連中は嘘をまき散らし、私達の頭を混乱させて、考えることを放棄させ、真実にたどり着けないようにしています。私達に快楽、享楽を与えて、神様にたどり着けないようにしています。

性の乱れが文明を崩壊させる。その原理について。

 

嘘を土台にしていては、何を学んでも、何をやっても最後の最後にはうまくいきません。

写真の木の様に根元から倒れて根こそぎ駄目になります。

人生はこのように倒れたくないですね。

  

しっかりと根を張り、大きく成長するには、土台がしっかりしている必要があります。真実、真理を土台にしてこそ最後の最後までしっかりと伸びていき、大きく成長することができます。この木のように。

山には立派な木が沢山ありました。どれも根元がしっかりしています。

 

とはいえ、途中で嘘が頭に入るとこのように途中で折れてしまうかもしれません。イルミナティの嘘に惑わされて、神様を愛することを最優先にせずに富や名誉、異性など現世利益を追い求めると、人生は途中までうまくいっているように見えてもポキリと折れてしまいます。

途中まで伸びたがポキリと折れた木。悪魔に従うとこうなる。

 

このように人生が途中で折れてしまったり、根元から倒れてしまわないために、嘘と本当を精密に見分けて正しい道を進んでいかないといけないのですが、RAPT 理論とRAPT 氏の御言葉は、この嘘と本当を見分けることができるようにと私達を導き育ててくれるものです。

 

キリスト教は禁欲生活のように思っている人が多いかもしれませんが、実際にはそうではありません。私も必要な物は購入し、それによってこうしてハイキングをするようになったり、写真撮影をしたりしています。

楽器の練習もしていますが、弦楽器はお金がかかります。しかし、必要な物は買います。

本当のキリスト教は不必要な欲を自制し、本当に必要な「欲=願い」を叶えていき、人生を栄えさせていくものだと RAPT 氏に教えて頂きました。神様を最優先に愛して義を行って「霊的」に成長していけば、持ってはいけない欲と持つべき欲を見分けられるようになり、正しい道へと進んでいくことができると教えて頂きました。

神様の願いを叶えて差し上げ、自分の願いを叶えて頂くという過程を経ながら、神様と愛の関係を築き上げていくので、ちゃんとできていれば神様との愛が深まっていきます。

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。

「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか」と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

イエス様の御言葉ですが、二千年たった今でも色褪せることなく残る御言葉です。RAPT 氏によってイエス様の御言葉が現代人にも通用するようになり、色鮮やかに蘇りました。

 

「神様はいない」と思っている人が沢山いますが、それはイルミナティが広めた嘘で、彼らは神様や悪魔の存在を信じており、悪魔を拝んでいます。あるいは神様と悪魔を一緒にして拝んでいます。神様と悪魔を一緒にするから善も悪もごちゃ混ぜにして、「清濁併せのむ」とか「悪人を許す」とか言うわけです。新天皇の即位で恩赦がありましたが、本人の反省とは関係なく許すのですからおかしな話です。

神様は悪を忌み嫌う方ですから、悔い改めることのない悪人を許されることはありません。今、悪人達の悪事がどんどん露わになっているのは神様が裁かれているからです。

どうか皆さんも神様と心を一つにして、神様の御心の通りに悪人達が裁かれるように祈ってください。「安倍晋三」や「麻生太郎」、「天皇家一族」のような悪人を受け入れる必要はありません。悪人をのさばらせておいたら、義人が害を受けて世の中が悪人だらけになっていきますから、悪人がいなくなって義人が栄えるように祈ってください。悪人によって搾取されるのは誰だって嫌なはずです。

皆さんが神様に出会って、神様と愛をなし、祝福を受けられる人生を歩めるようになることを願います。

  

何をどう祈ればいいのか、具体的な方法をお教えします。自分の人生も世界の運命も変える鍵がここにあります。

悪魔崇拝者を根本的に滅ぼし尽くす方法。それは「霊界」の奥義を知ることから始まります。

 

 

 

ハロウィンももともと悪魔崇拝者たちの行う生贄儀式でした。ハロウィンとバアルと秦氏と大正天皇との奇妙なつながり。

天皇が行う「大嘗祭」はまさに悪魔崇拝そのものです。

天皇家と安倍首相と永田町の政治家が「密教」を信じる悪魔崇拝者であるという確たる証拠。

 

○酸素と水分摂取の重要性については以下の記事になります。

RAPT有料記事302(2018年8月13日)人々の救いのために熱く祈った者が、人々の救いのために大きく使われる。

RAPT有料記事205(2017年9月9日)人間の脳は体を動かすエンジンだから、脳の回転を高めてこそ価値ある人間と見なされる。

UFOライン(瓶ヶ森林道)でドローン撮影&風景撮影。RAPT BLOG で変化した心のあり方。

高知県いの町の瓶ヶ森林道(かめがもりりんどう)、通称「UFO ライン」に行ってきました。

残念ながら山頂付近では紅葉は散りつつありましたが、それでも向かう途中の道路ではきれいな紅葉を見ることができ、すてきなドライブコースです。

日本一のブラック企業、「トヨタ」カローラスポーツの CM のロケ地でもあり、来訪者が増えているそうで、私が行ったときも沢山の人で賑わっていました。途中、道が狭いところがあるので対向車には要注意です。

トヨタは日本一の悪魔的企業です。しかし、消費税をゼロにすれば、トヨタはすぐに潰れます。

日本をダメにした「小泉・竹中改革」の成功は、すべてトヨタ元社長「奥田碩」の力あってのお陰です。

 

車を止めて少し山に登ると、天気が良い日は太平洋と瀬戸内海の両方を見ることができます。

太平洋側

 

遠くに太平洋が。

瀬戸内海側

 

夕日も見て来ました。日が沈み、徐々に迫ってくる夕闇の中で一人たたずんでいると寂寥感がありましたが、大自然の営みを独占して静かに鑑賞できたというのは、振り返ってみると贅沢なことでした。

遠くに石鎚山が見えます。

日没後

  

空の色。雲の動き。刻一刻と移りゆく景色。

神様が創造された世界はどこまでも壮麗で、素晴らしいです。

写真を撮りながら、「もっと素晴らしい夕日を見せてください」と祈り、夕日以外にも撮るべきものはないかとあたりを見回し、日が沈んでからも更に素晴らしい景色を見せてくださるかもしれないと待ち続けました。

神様に出会う前は、風光明媚な景色を見てどう感じていたか思い出せませんが、何をみても「綺麗」とか「すごい」の一言で済ませていたような気がします。ただ眺めて終わりで、今ほどの感動がなく心が死んでいたような気がします。退屈でつまらなく感じていたような気もします。

RAPT BLOG で霊の存在を知り、神様や悪魔の存在を知り、悪魔を拝む人たちがどれだけ人類を苦しめてきたかを知り、神様がどのように人類を導いて来てくださったかを知り、神様の愛を知りました。

自分が持っているもの、見えているもの、見えないもの、存在するもの全てが神様から頂いたものだとわかったからか、普段見ている何気ない景色ですら美しいと思えるようになり、そのように感じる心を持つようになったことに私自身驚いています。カラカラに乾いていた砂漠の様な心に泉が湧いてきたような感じがします。

風景写真を撮るようになって気づいたのですが、車中泊で朝日や夜空を狙っている人が沢山います。プロなのか趣味なのかはわかりませんし、旅行しながら撮影をしているのかもしれません。私が UFO ラインに行ったときは、日の出の時間にちょうどガスがかかって朝日が見えなかったので、皆さん急いで移動しておられました。何が何でも日の出を撮るという意気込みを感じました。

私はというと、朝日は諦めて雲のダイナミックな変化や早朝のひんやりとした空気を感じる空の青さを撮影しながら、晴れるのを待ちました。振り返って考えると、日の出にこだわっていたら、その他の素晴らしい自然の変化に気づかなかったかもしれません。ガスは朝日の撮影にはただの邪魔ものですが、そのガスの変化が意外と素敵だったりします。

といっても、日の出にこだわるのが悪いというわけではありません。こだわることで、もしかしたら素晴らしい日の出を撮影できたかもしれませんから。ただ、私の場合は日の出へのこだわりを捨てたことで、他にも素晴らしい景色が沢山あるということに気づいたということです。日の出はまた別の機会に撮影しようと考えています。

RAPT 氏の有料記事を読み続け、その通りに行おうと努力していると、いつの間にか考えが変わり行動が変わっています。感性も変わるのかもしれません。

考えが変われば行いが変わり、行いが変われば生活が変わり、人生が変わると RAPT 氏に教えて頂きました。しかも、ただ変化するだけではなく、RAPT 氏の御言葉は神様に近づく方向に変わるのですから、人生はいい方向に変化します。

知恵や知識、実力を身につけようと努力するようになるから、問題があっても人任せにしたり人のせいにしたりせずに自分で解決できるように努力できるし、実際に解決できることもあります。そして、自力では無理なことでも何とかしようと頑張っていれば、時が来たときに神様が周囲の環境を変えてでも助けてくださいます。

そうして毎日正しい方向に向かって努力していれば、ちょっとずつ実力が身につくはずで、実力が身につけばまた新しいことができるようになるから、それによってさらに人生が変わります。人生が良い方向に向かうから、希望を抱いて生きられるようになります。

今までは根性論や精神論で闇雲に頑張っていて、これといった実力が身につかず、大した結果も得られませんでした。これからは神様に祈って行くべき道を見定めながら、実力を身につけていこうと思います。神様が素晴らしい景色を見せてくださってもそれは一瞬ですから、その一瞬を逃さないためにもっといい撮影機材をそろえて、さらに撮影に関する知識と実力を身につけて、感性も磨いていこうと思います。

最後に、UFO ラインから見える石鎚山は、西日本最高峰の山で「神」としても崇められています。しかし、そこには神ではなくて強力な「悪魔」が住んでいますから、石鎚山に登ると霊的、精神的な害を受ける可能性大です。遠くから眺めるだけにすることをお勧めします。

私の住む愛媛県の最高峰「石鎚山」は、JAL123便を撃墜して520人の命を奪った「国常立尊」そのものでした。

香川県は「うどん県」ならぬ「ピラミッド大国」でした。あなたの住む町にもピラミッドは存在するかも知れません。

   

 

大して努力もしていない人に、主は助けの手を差し伸べて下さらない。自分の限界に達するまで努力した人だけを、主は憐れに思って助けてくださる。

主と愛の関係を築くなら、主が持っている全てのものを共有してくださるから、人生を生きる上で不足するものがなく、必要な全てのものに満たされて生きられる。

あなたの専門分野を究めてこの世のトップに立ち、全知全能の神が存在していることを人々の前で証明しなさい。

人間が神にかたどって創られた以上、人間の脳もまた神の脳と同じ形をしている。だから、私たち人間が神のようになることは可能なのだ。

 

 

風景写真は風景写神。神の次元に到達するには。

○24時間カメラを持ち歩く。

今まで何となく撮っていた風景写真。もっとレベルを上げようと思い購入した本の中で、印象に残った文章を引用します。

「僕たちが眠っている間も地球は回り続け、夜中でも雲や滝は流れています。技術の進歩に合わせて、撮り方も進化が大事です。そして、そのためには体力と健康も。海外のトップカメラマンは撮影旅行中ほとんどアルコールを飲んだり、宴会をしません。それだけ撮影に集中するのです。映像のアスリートと思ってください。24時間いつでも写真が撮れる体制、そして集中力、体力、クリエイティビティ、これらがなければ優れた写真は撮れません。」(誰も伝えなかったランドスケープ・フォトの極意「相原正明著」)

世界のトップレベルに立つためには、体力と健康が必要。

かなり以前の RAPT 氏の御言葉で運動の大切さや、健康、食事などについて細かく教えて頂いておりました。御言葉を聞いたときは心が燃えて頑張るのですが、徐々に運動不足になったり、独身になってからは外食がちになったり・・・これではいけないと思い、また運動したり、自炊したり。

自分の弱さに打ち勝つには相当な力が必要です。

生活環境が変わり新しいことができるようになったときに、もっと体力や知識を身につけておけば、さらに活動的にいろいろできていたかもと思ったりします。RAPT 氏の教えは世界トップレベルで走るための知恵や知識に満ちあふれており、「今の自分では無理」だとか「そこまでしなくてもいいだろう」などと考えていると、いざ環境が変わったときに後悔することになります。御言葉を聞いた時にはそれを行う意味がわからなくても、その通りに従っておけば後で「やってて良かった」と思うことが必ずあります。

知恵も知識も神様から頂くもの。

「24時間いつでも写真が撮れる体制」という言葉に「これだ!」と思ったのですが、昨日の朝、ランニングに出たときにカメラを持って行きませんでした。

で、走っている途中で、もうすばらしい景色に出会ったのです。稲刈り後の稲に降りた露が、朝日で宝石のようにきらきら光っていたのです。思わず「ああっ神様」って心の中で感謝したのですが、「ああっカメラがない!!!」とすぐさま落胆。

24時間カメラを持ち歩こうと思ったのに、神様から知恵を頂いていたのに、その通りにできていなかったために激しく後悔しました。

しかし、スマホを持っていることを思い出してすかさず激写。光り輝く朝露を撮影したかったのですが、イメージ通りには撮影できませんでした。下に2枚写真を載せますが、おおよその雰囲気は伝わるでしょうか。5~10分後には太陽が昇って神々しさがなくなってしまいました。光、時間に2度と同じものはありません。この一瞬の神様の恵みを写真に残すにはもっと実力が必要だと痛感しましたし、神様から頂いた知恵の通りに行わないことは、本当にもったいないことだとつくづく思いました。

 

○普段行かない山へ。

今日も昨日の朝のような景色が見られるだろうかと思い、ランニングするつもりだったのですが、睡魔に勝てず逃してしまいました。怠惰な自分、妥協する自分に打ち勝たないと、世界レベルには上れません。

気を取り直して昼から山へ出かけました。たまには違うところに行こうと、今までに行ったことのない山へ。何気なく行った山でしたが、ハイキングコースがありいい写真が撮れそうなので今後しばらく通うことにしました。

写真を撮っていると山は登れないのですが、ここを撮りたいという思いが優先されます。山頂に近づいた方がいい景色が見られるかもしれませんが・・・。条件をいろいろと変えて写真を撮っているとあっという間に時間が経ちます。印象的な緑をイメージ通りに写真に残せないかと試行錯誤して撮った写真を2枚載せます。

明るい写真をイメージして撮ろうとしたのですが、意外と絞りを絞ってくっきりさせた方が個人的に好みの写真が撮れました。

 

 

先ほどの本から長くなりますが、引用します。

「長い間、オーストラリアの荒野やタスマニアの森、日本の山河のなかでキャンプをして撮影していると、人智を越えた何かがある気がします。たぶん、それが地球の心なのかもしれません、もしかすると昔から人々がいう神様かもしれません。その人知を超えたものが、僕たちに語りかけて、カメラというものを媒介にして、地球の心を撮らせてくれる、いや撮らせて頂くのが風景写真ではないかと思います。そしてさらにそれを精進し究極の風景写心を求めるのならば、太古の昔から崇める大自然の神様の気を写し込んだ”写神”だと思います。風景撮影の最高で至高の到達点は風景写神かもしれません。そして、それが風景写真の極意です。とても精神世界的な話になりましたが、内面の映像化、プリント化が写真です。どうしても最後は自分の心と地球の心の関係、さらには神様という宗教的な世界観につながると思います。いつか、風景写真から風景写神へ、そのために見るもの、聞くもの、感じるもの、すべてを研ぎ澄ましてください。スペックからも、データからも解放されて、自分と大自然だけで向き合い、語り合い、シンクロできたとき、風景写神は撮れると思います。これこそが極意だと思います。」

 

「風景写神」。写真は神様を写すもの。神様が愛で与えてくださった景色を写すものだと思います。神様によって創造された自然や物が、神様が与えてくださった光の中で輝くときを狙って撮影する。光と影が織りなす神様の芸術を撮影させて頂く。

風景写真は神様と共に作り上げる作品で、これを行うことで神様とより愛を深めていくことのできるものだと思います。

神様と向き合い、神様を愛して神様と一体になったとき、神の次元の写真を撮ることができると思います。

コンテストで賞を取るためではなく、神様を愛するために写真を撮る。人それぞれに個性があり感性があるから、同じ風景を撮ったとしても全く別の写真になると思います。賞を狙って写真を撮るとあざとい写真になるでしょうし、人と競うために写真を撮っても楽しくありません。

写真は神様と愛をなすもの。そうして撮られた写真が最高の作品になると思います。

神様と一体になる方法は RAPT 氏が詳しく伝えてくださっています。世界トップレベルの実力を身につける方法も。神様の次元に登られた RAPT 氏だからこそ伝えられる御言葉です。今の自分には必要ないと思わずに、最初から神の次元を目指して走れば、昨日よりは今日、今日よりは明日と、次元を上げていけば、いずれ到達できます。私も頑張ります。

できるだけ沢山の人が、神様に出会って神様と愛をなして感謝と喜びに満たされて生きられることを願って。

RAPT BLOG

 

 

  

ドローン墜落。捜索・回収から得たもの。

今日(10/20)、高知県柏島近くの山に墜落させてしまったドローンの回収に行ってきました。

ドローンは産業廃棄物の対象商品ですし、バッテリーから発火して火災の原因になることもあるので、回収しないといけないと思ってはいたのですが、山の中に墜落したのでどうやって探したらいいのかわからず、しばらく放置していました。

新たにドローンを購入してから、やはり墜落したドローンを回収しようと思い、墜落した付近を空から撮影して木に引っかかっていないか確認に出かけたのが、先週(10/14)のことです。

回収しないといけないと思って行動したのはいいのですが、どうやって回収するか十分に検討せずに出かけてしまいました。一応、木に引っかかっていなければ、山に分け入って落ちたあたりを捜索しようと考えてはいたのです。小さな山ですから何とかなるだろうという甘い気持ちで出かけてしまいました。

ところが、ドローンを山の上に飛ばして空撮したところ、すぐに鳶が襲ってきて、空撮どころではありません。ドローンから目を離すわけにはいかず、撮影にも集中できないので、早々に諦めてドローンを撤収しました。鳶がいることは前もってわかっていたので、こうなるだろうということはうすうす予感していました。

そして、撮影した動画を持参のノートパソコンで確認したところ、ドローンは見つからなかったのですが、十分に撮影できたわけではないので木に引っかかっていないとは確信できませんでした。

この時点でやる気を失っていました。で、山に登ろうかと一瞬考えたのですが、登るにしても山の周囲がコンクリートで固められているので、山に入る道もわからないという有様でした。

実は、この日はドローンの捜索に行って、見つからなかったら高知県の海岸沿いを撮影して帰ろうと思っていたのです。本気で回収する気がありませんでした。

完全にやる気を失って、柏島でドローンを一度飛ばしたものの、闇雲に飛ばしてもいい動画は撮れないと思い、すぐに帰路につきました。

柏島に向かいながら、なんだか神様に喜ばれていない感じがしていたのですが、到着してやはり自分は間違ったことをしているとひしひしと感じていました。これは御心ではないから絶対にうまくいかないという感じでした。

ドローンを発見できるようにと十分に祈っておらず、思いつきで行動したので、装備は何も持たず、何の計画性もなかったこと。結果は、始めからわかっていたのです。

「愚かではいけない。」「知恵のない行いをしてはいけない。」

神様と RAPT 氏の教えが頭から抜け落ちて、未だに愚かな行いをしてしまう自分がいると、帰りの車中で延々と考え続けました。

「なぜ、自分はこんなに愚かなことをしてしまったのか。時間を無駄にしてしまったのか。」

考えを一新して新しく生まれ変わるにはまだまだ足りないと思い、悔い改めて霊的に立て直してから、もう一度ドローン捜索に行くかどうか考え、やはり行くべきだと思ったので、今度はしっかり祈ってから計画を立てました。

○ドローンがどこに墜落したのか知る方法はあるのか。

まず、使用していたプロポ(リモコン)とスマホを繋ぎ、電源を入れて DJI GO4 アプリを立ち上げると、下のような画面が出てきます。そこで、左下の紙飛行機のようなアイコンをタップします(矢印)。

 

すると、下のような画面に変わりますから、フライトリストをタップします。

 

そうすると、フライトリストが表示されます。墜落させたときの記録をタップすると、その時ドローンがどのような経路を飛行したのかがわかりますから、墜落場所を特定することができます。

墜落した場所をスマホに下図のように表示できたら、画面をカメラで撮影し印刷します(画面キャプチャーできるならそれでも可)。このとき、地図の縮尺を変えた写真をいくつか撮っておきます。

 

次に、google map で目的地を表示し、印刷します。(下図の黄色い丸印がおおよその墜落場所になります。)

 

私の場合、スマホの地図を参考に google の地図に墜落場所を書き込んで、道路からの距離(直線距離、東西方向、南北方向の距離)を書き込み、方角をコンパスで測り墜落場所まで真っ直ぐに進んでいけるように計画を立てました。

また、当日はスマホで google map の GPS 機能を使用するつもりでしたから、海岸線の形からも墜落位置がわかるようにしておきました。

○電話で地元の方から情報収集。

どのような装備が必要なのか知るために、地元の方から情報収集しました。

・山に入る道はあるのか。

・どのような山なのか。

その結果、地元の方も最近は誰も立ち入っていない山だということがわかりました。

・雑草だらけ。

・山の裏手が崖になっているから危ない。

・山道はない。

・猿、ヘビ、ハチに気をつけるように。

・一人では行かないように。

このように助言を頂きました。

そこで、登山靴と登山用ストック、鉈、コンパス、軍手、ライト、水、食料を購入しました。さらにクモの巣や木の枝から顔を守りたかったので、マスクとゴーグル(もともと持っていた花粉症用のゴーグル)を、寒さ対策の為にレインコート(上下)を用意しました。また、汗をかくからタオルも必要です。

小さな山ですが可能な限り準備をし、ドローンが見つからなくても午後3時には下山することにし、崖には近づかないようにして、無事に帰ることを第一目標にしました。

そして、天気を確認し「確実に、速やかにドローンが見つかるように。獣やハチに出会わないように。」と祈ってから出発しました。今回は前回と違い、確実に見つかる予感というか、力が湧いてきて「いける」という思いで向かうことができました。

一人では行かないようにとの助言を頂いたのですが、これは神様と二人で行かせて頂きました。ただ、自分の不注意で怪我をして動けなくなったときにすぐに救助してもらえるように、地元の警察の方に自分の歩く経路と携帯電話番号を記入した地図を渡しておきました。警察の方が「昼過ぎに一度(様子を確認するために)電話をする」と仰ってくれましたから、万一のときの保険を得ることができました。

 

○再度ドローンで上空から確認。

大した情報は得られないかもしれないと思ったのですが、再度ドローンで墜落場所を撮影しました。木の上にドローンがないことがわかっていれば、足下を重点的に捜索できます。

残念ながら、鳶が襲ってきたので空撮はすぐに諦めたのですが、撮れた動画を確認したところ、木には引っかかっていなさそうでしたから、地面を重点的に探すことにしました。

 

○いざ、山へ。

地元の方に山に入れる場所を詳しく教えて頂き、山の麓に立ちました。

目の前が木の枝、竹でふさがれており、前途多難な感じがしたのですが、持参の鉈で道を作って墜落地点に向かいました。

購入した鉈

 

そして、小さな山でも山は山。登山靴とストックがなければ登ることは不可能だったと思います。

5~10m ほど進んではスマホで位置を確認し、コンパスを使い向きを修正して進んでいきました。google map の GPS では自分の向いている方向がアバウトでしたから、コンパスが非常に役立ちました。

登りながら思ったのは、すぐ近くにドローンが落ちていても雑草や岩で見つけられない可能性があるということです。

しかし、自分でできるだけのことはしたから、後は神様の助けを得られるように

「ドローンが見つかりますように。」

「どこに向かえばいいですか?」

と祈りながら進んでいきました。

登り始めて 30分ほどだと思うのですが、目の前に、自分の真正面にドローンが!!!

  

もう、半泣きになるくらいうれしかったです。神様が願いを叶えてくださったと思いました。

ドローンは雨に濡れてすでに壊れているかもしれませんが、そんなことはどうでも良くて、願い通りに速やかにミッションを完遂させてくださったこと、神様の導きを受けられたことが何よりもうれしいです。山の中で真正面にドローンが現れるなんてまず考えられないです。

バッテリーを外したドローン。柏島と一緒に。

 

心の底から喜びに満たされて下山し、山への入り口を教えてくださった地元の方と、お世話になった警察官にお礼を言って帰りました。

 

○ドローンの墜落から発見までの経緯で得た教訓。

沢山あるのですが、とにかく愚かではいけない、知恵のないことをしてはいけないということ。

そもそもの発端は、自分の楽しみのために不必要にドローンを飛ばして、墜落させてしまったのです。

その上、何の考えもないまま適当な気持ちでドローンを探しに行き、愚かさの上に愚かさを重ねてしまいました。ドローンを発見する代わりに、自分が未だに愚かであるということを発見して帰ることになりました。

「愚か者は自分の愚かさを繰り返す。」(箴言 26. 11)

聖書の深い一言が心に突き刺さります。

2度目の時は神様に、ドローンが見つかるように、どうすれば見つけられるのか、何を持って行けばいいか等、祈った上で計画を立てたので、行く前から必ず見つかるという確信のようなものがあったのですが、「自分でできることを全力でやって初めて神様が助けの手を差し伸べてくださる。」と RAPT 氏の仰るとおりだなと実感しました。

大して努力もしていない人に、主は助けの手を差し伸べて下さらない。自分の限界に達するまで努力した人だけを、主は憐れに思って助けてくださる。

 

計画を立てること、戦略を練るということ、神様の導きを受けられるということがどれほど結果に大きな違いをもたらすことか。

人生においても、神様の導きが得られないと一度目のドローン捜索のように何の結果も得られず落胆して終わりになり、神様の導きを得ることができたら、二度目の捜索のように速いスピードで結果が得られると思いました。

・東西南北どちらに向かえばいいのか。

・人生どの方向に進んでいけばいいのか。

・御心の道はどこなのか。

・どうすれば神様に喜んで頂けるのか。

事細かく祈るほど、神様が精密に導いてくださるに違いないと思いました。

ドローン捜索は御心とは何の関係もないようなことでしたが、神様が私をご覧になって喜んでいない(むしろ怒っているかも)という感覚と、憐れんでくださっているという感覚を忘れないようにし、本当に愚かなことを繰り返さないようにし、さらに精密に緻密に祈りを捧げられるようになろうと決意を新たにすることができた出来事でした。

 

RAPT 氏のブログは神様の知恵がぎっしりと詰まっています。

人の考えを変えて、人生を良い方向へと導く力のある言葉にあふれています。

多くの人が RAPT 氏のブログから人生の指針を得て、幸せになってほしいと思います。

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